社会福祉法人シナプス 埼玉精神神経センター

お知らせ

M・O様の手記

2020年03月19日

こんにちは、M・Oです。この文章は私が初めて伝の心(意思伝達装置)で書いた文章です。 よろしくお願いします。
ALSと診断されて4年、異変を感じたのは8年前、左肩を上げると痛いので五十肩かと思いました。 約3年放置、5年前より10カ月接骨院に、整体に週2回約3ヶ月通院するも良くなりませんでした。 2013年5月、神経の病院へ行き、検査をすると「骨には異常がない」と言われます。 医師からは「あなたみたいな人は見たことがない」といわれ、◯◯病院を紹介され、受診すると簡単な検査をして[運動ニューロン病]と告げられました。 何だか分からないまま家に戻り、ネットで調べてもらうと末期がんと一緒とのこと。 その後、精密検査をし[筋萎縮性側索硬化症]と診断されました。
診断書を、妻が保健所へ出すと筋萎縮性側索硬化症の患者交流会があることを知りました。お薬はビタミンB12、ビタミンE、リルゾールを処方され、月1回の通院をしました。診断より2ヶ月後会社を退職、その後障害者手帳が届きます。 2014年1月より、数回患者交流会に参加すると、5年~7年で亡くなってしまうと聞きました。
以前の病院では、リハビリとエダラボンなどの点滴がなく、埼玉精神神経センターの丸木医師を紹介してもらいました。その後保健所の担当者よりケアマネージャーさんを紹介され、市役所に面談、約3年前より神経センターへ移りました。 週2回通院し保険適用外のエダラボンの点滴を開始しました。
2015年1月よりリハビリを開始し、週2回の治療を受けました。3月には介護認定を受け、要介護3をもらいました。その後マッサージの人に家まで来ていただき、マッサージを受け続けました。 6月にALS総会に参加し、治験薬があることを知り、4ヶ月後に11日間入院し治療が始まりました。治験薬は、連続10回するので通院は無理なので訪問看護ステーションを依頼しました。 要介護3を受けてから1年後に要介護4になり、このころから足の筋肉が衰え、階段で危ないことがありました。2階の自室を諦め1階で生活、介護ベッドを使用し始めました。 その後、呼吸補助バイパップを夜のみ使用するようになりましたが、徐々に手の動きが悪くなり、9月下旬に体調が悪化し夜間に入院しました。 翌日トイレに行くため、廊下で倒れ頭を打ちましたがCTで異常がないといわれます。その後胃瘻造設の手術をして、そのまま長期入院となりました。 2017年2月、バイパップを装着しても呼吸が苦しくなり、意識がなくなりました。この時サチュレーションが54%になったとあとで妻に聞きました。翌日気管切開の手術をし、この日より呼吸器がつきました。
入院中、テレビでALSのことを放送していました。ALSやパーキンソン病がiPS細胞で治る可能性があり、臨床試験が10年以内に始まり、20年以内に実用化するとのこと。私は厳しいと思いますが、これからの人達は治る可能性があるのです。
現在、カニューレが2週間に1回、尿道バルーンが1ヶ月に1回、胃瘻チューブが3ヶ月に1回交換があります。39.5℃の熱を出し、抗生剤の投与をしたこともありました。 2017年9月で寝たきり1年になりました。 2017年10月8日の誕生日で65歳になり高齢者の仲間入りになりました。 妻と娘には通院と入院で300回以上通ってもらっていて、迷惑をかけてしまっています。 感謝しています。

お知らせ一覧へ